ニックネーム:
こたろう
投稿日:2017/06/26
娘を救いたいために染まっていく両親
内容紹介にサラリとありますが、染まっていくのは宗教、新興宗教、それも一見健康のためにただで分けていただいた水からでした。
湿疹に覆われ苦しむ娘を何とかしたい、そう思って持ち帰った水「金星のめぐみ」で身体を拭かれると気持ちよさそうにして、次第に湿疹も引いていった。
母の付けた日記を読み、ちひろも信じる前に染まっていきます。
遊びに行った「落合」さん宅で見たのは、水をタオルに浸して頭に乗せる、何とも珍妙な仕草でしたが、すでに珍妙と思える理性はそこには入り込めない雰囲気がありました。
信じることで生きなおす両親を危ぶんで伯父が訪れ意見しますが聞きません。伯父はちひろの姉を抱き込んで水を入れ替え普通の水道水を「金星のめぐみ」とおもわせ「プラシーボ効果」に過ぎないことを見せるのですが、かえって両親は頑なになるだけでした。
物語はちひろの目から見た日常、はたから見たら奇妙だったり歪んでいたりするはずなのですが、渦中にいるちひろからはその歪みが感知できません。
それをある意味巧妙に使って物語は一見平穏で、よく見たら黒い雲に覆われていた、という不穏な世界を描いていきます。
姉の失踪、学校での付き合い。好きになった男の子、あこがれの先生。
こちらでも普通に見える生活が描かれ、そのはしばしで不穏な雰囲気がちらりちらりと垣間見えます。
仕事も変え、古びた緑色のジャージーで暮らす両親。黄昏時に近くの公園のベンチでタオルを頭に置いた両親を「河童」と見間違えるシーンは哀切で秀逸です。
間接的に貧困が語られ、それでも信じる両親との生活が続き、その間に家族愛や世間との付き合い方、宗教と信じることの意味などが緩やかに一見ごく普通に問題提起されていき、流れ星が見える里で開かれる集会に参加したちひろとその両親が流れ星を一緒に見ようと丘で見上げるシーンで終わっています。あえてその中身は書きませんが終わり間際に書かれた二行にぞくりとしました。
不穏で不安を掻き立てる要素がさりげなくえがかれていて、けれど渦中の主人公はある意味安定していて平和でもあって、どこかあっけらかんとした諦めまで感じる不思議な世界が提示されています。
ならばそこから先へ進むための救い、強い意志のようなものがもっと描かれていたら、と思うのは贅沢なのでしょうか。
「あひる」に続いて芥川賞候補に選ばれています。
寡作だけれど密度の高い作品を描き続ける今村さん。
実際に読んでみると平明というより簡単な語彙、単語だけで綴られている文章がいつの間にか読者に取り込まれていき、気が付くと深いところに沁み込んでいる、そんな印象が強いです。
時間をかけて進化していって明るさの見えるところまでたどり着いてほしい方です