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電子書籍 逝きし世の面影

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電子書籍-逝きし世の面影
著者: 渡辺京二
定価 ¥2,052(税込)
BOOKFANポイント: 114 pt
or
Tポイント: 95 pt (Yahoo!ウォレット決済利用時)
出版社名 平凡社
eBookJapan発売日 2017年02月03日
対応デバイス Windows  /  Mac  /  iPhone  /  iPad  /  Android  /  ブラウザ楽読み
電子書籍のタイプ リフロー型
ファイルサイズ 8.6MB
連載誌・レーベル 平凡社ライブラリー
関連タグ 平凡社ライブラリー  /  専門書 歴史
平均評価
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ブクレポ 2件

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逝きし世の面影 OFF
渡辺京二 OFF

内容紹介

昭和を問うなら開国を問え。
そのためには開国以前の文明を問え。
幕末から明治に日本を訪れた、異邦人による訪日記を読破。
日本近代が失ったものの意味を根本から問い直した超大作。

※本データはこの商品が発売された時点の情報です。

書籍一覧 > 逝きし世の面影

ブクレポ  ( ブクレポについて

ニックネーム: 3ki 投稿日:2013/01/04

幻影の楽園

インドネシアは多く、イスラム教徒のいる国だという。
昨年の暮れ、ジャワ島のボロブドゥール遺跡を訪ねたわたしは、上部のストゥーパの傍で当地の髪を被った制服の女生徒に写真を請われた。「一緒に写ってくれ」というのである。
すわ、わたしはインドネシア美人の基準に該当するのかと色めき立ったが何のことはない、インドネシアの人はたいそうな日本人びいき、撮った写真を友だちに見せ「日本人と写真を撮ったんだよ」と自慢し合うのだそうである。
浮ついたバカンス風の出で立ちのためか、黒髪、切れ長の目、黄色がかった白い肌が日本人と知らせたのか、確かにわたしは異邦人である、と、納得したものである。

今の日本人に、外国人と写真を撮ったからといって自慢し合うようなものはいないだろうが、かつて、日本人は、国を訪れた外国人を無邪気に取り囲み好奇の目を向けた。
しかしそれもお互い様、幕末・明治期に日本を訪れた外国人たちもまた日本に好奇の目を向け、時には偏見も交えながら、驚きをもってそれを活写している。そこに描き出されているのは、幻影の楽園のようでもある。

自分の怠惰を告白することになるが、実を言うと本書を読もうと購入したのは一年半も前のことである。その厚みと濃厚さに、何度も読みかけてはやめたのでこの時期となってしまったが、読み始めればかかり切りに読み進めることとなった。
元は、震災時に遡る。自分の住まいは無事だったとはいえ、余震が続き、計画停電の実施と、日本中が薄墨を垂らしたような思いを纏いながら生活をしていたように思う。そうしたとき、海外からの支援の言葉と共に、日本人への賞賛が多く寄せられていた。
何でもよいから明るさの元になるものをと、日本礼賛の本をいくつか読んだ。要は自信を取り戻したかったのである。そうしたとき、いくつかの本の参考文献として上げられていた本書に興味を持った。
誤解の無いようにしたいが、決して本書の言わんとすることは、古き日本を「楽園」と祭り上げることにはない。真の楽園など地上には存在しない、というのは当然のことで、著者のその筆は、徳川期において花開いた文明の両面を、当時日本を訪れた外国人の記録や当時に生きた日本人の記録から引いて、公平に描き出している。

文明と文化の違いもはっきりと言い表せない(辞書で確かめても、著者の言う文明の定義とはやや違っているようである)自分には、やや荷が勝ちすぎるものではあるが、文明とはなんであろうか、楽園とはなんであろうか、などと考えさせられる。
確かにこの著作の中で表された文明は、滅びたようである。そう思えるのは、自分が訪れた外国に向けるのと同様の目で、この中に現れる日本を見つめる目を自覚するからである。
自らの持つ視線、これはいったいどんな文明に由来するものであろうか。
以前の文明を埋葬した上でそれを見送る文明なのか、それとも西洋からの押し寄せる波に同化した文明なのだろうか。

自分に答えの出せようもない難しいことはともかく、考えたことを書き付けておきたい質なのでいくつか。
思わず笑いを誘われるのは「第九章 女の位相」。まあ、なんと男たちは女を特別なものと思いすぎているものか、と、呆れもしてしまう。男と比べて特別優美な日本の女を礼賛してはいるけれど、別段女は男を何か特別視したりはしないように思う。このような喜ばれ方をしていたものかとほほえましい。

また、「第十一章 風景とコスモス」とそれに続く「第十二章 生類とコスモス」あるいは全体にある日本人の生命観。
人は何ら特別なものではなく、動物とも現代に比べ遙かに同列な生命である。ということは、神々もまた、我々に近しいのだろう。
それを見る外国人たちの中にはヒューマニズムに裏打ちされた個という、自分を他と区別し、かけがえなくするものがある。それは同時に高みへと自らを押し上げ、ある種の傲慢にも思える。それはもちろん自分の中にもあきらかにある。その善し悪しを論じようと思わないが、それに触れたとき、恥じるような思いもまた生まれた。
しかし、かつての日本人は、物事をあるがままに受け入れ、笑い飛ばし、水に流し、おもしろがり、楽しめるような人々でもあった。
「ははははは」という笑いに、どれだけの力がこもっていたのだろう。
それで、わたしもまた同様に、「はははははは」と笑ってみることによって、幻影の楽園に一時、足を踏み入れてみたく思うのである。

ニックネーム: ランピアン 投稿日:2011/11/13

「美しい国」はここにある。

日本史上の偉人としてまず名が挙がるのが、福沢諭吉と坂本龍馬だ。人気、実績ともに申し分なく、さも当然の結果のように思える。しかし、だとすれば80年代から現在まで日本で続く「江戸ブーム」というのは、あれは一体何なのだろうか。

龍馬と諭吉が偉人とされるのは、要するに「江戸時代」という文明を彼らが破壊したからである。特に福沢は日本の文明を全否定し、完全な欧米化を求めた。江戸時代とは、彼らにとって遅れた、野蛮な世界だったのである。日本の近代化を推進したこの二人を英雄視しながら、一方で彼らが否定した江戸文化の「粋」に浸るというのは、明らかに矛盾してはいないか。彼らが正しかったのなら、我々も江戸文化を「野蛮な文明」と評するのが正しいはずではないか。

だが、龍馬と諭吉が生きた幕末と明治初期、日本について彼らと正反対の印象を抱いた人々がいた。それは当時の日本を訪れた欧米人たちである。遠い先進国から日本を訪れた彼らは、極東の後進国という先入観を大きく裏切る世界をそこに見出し、驚嘆した。野蛮な風習に支配された辺境の島である筈の日本に彼らが見出したのは、豊かな自然に恵まれ、よく手入れされた田畑が広がる美しい国土を持ち、人々が簡素だが豊かな生活を送る、予想より遥かに高度で特異な文明だったのである。

特に彼らが驚いたのは、一見厳しい身分制度とは裏腹に平等で自由な、そして互いに親密で隔てのない人間関係、かのオールコックが「子供の楽園」と評したほど大人たちに慈しまれて成長する子供たち、そして何より、世界最大の都市ロンドンやパリの下層階級に見られる惨めな貧困が、この小国に見られないことであった。それは「素朴で絵のように美しい国」(ウェストン)だったのである。

思想史家渡辺京二は、膨大な資料・文献から当時の外国人たちの日本観を丹念に拾い上げ、欧米人の眼を通して見た「江戸文明」を再現してみせた。後に本書を真似て「外国人が見た日本」式の類書が多数出版されたが、その内容において本家の足元にも及ばない。この試みは日本「近代」の影の部分を直視し続けてきた渡辺にして、初めて可能となったのである。

なお、本書は我々日本人が「やっぱり日本は凄い」と自己満足するための本ではない。理由は三つある。まず第一に、本書における対立軸は日本対西欧にではなく、あくまで近代対前近代に置かれており、日本は前近代文明の一つの代表とされているに過ぎないこと、次に、江戸文明を「滅ぼした」のが我々日本人であること。滅ぼした張本人がその対象を自慢できる道理がない。そしてもう一つ、古き日本の美点を見出したのが日本人でなく、外来者である欧米人だったことだ。我々に「逝きし世」を誇る資格などない。できるのはただ、滅び去って二度と甦ることのない、美しい世を偲ぶことだけである。
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