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電子書籍 逝きし世の面影

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電子書籍-逝きし世の面影
著者: 渡辺京二
定価 ¥2,052(税込)
BOOKFANポイント: 114 pt
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商品情報

出版社名
平凡社
eBookJapan発売日
2017年02月03日
対応デバイス
Windows  /  Mac  /  iPhone  /  iPad  /  Android  /  ブラウザ楽読み
電子書籍のタイプ
リフロー型
ファイルサイズ
8.6MB
連載誌・レーベル
平凡社ライブラリー
関連タグ
平凡社ライブラリー  /  専門書 歴史
平均評価
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ブクレポ
2件

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逝きし世の面影 OFF
渡辺京二 OFF

内容紹介

昭和を問うなら開国を問え。
そのためには開国以前の文明を問え。
幕末から明治に日本を訪れた、異邦人による訪日記を読破。
日本近代が失ったものの意味を根本から問い直した超大作。

※本データはこの商品が発売された時点の情報です。

書籍一覧 > 逝きし世の面影

ブクレポ  ( ブクレポについて

ニックネーム: ランピアン 投稿日:2017/08/19

逆説に満ちた「問題の書」

江戸期という歴史的時代は、われわれ日本人にとって今も大きな問題であり続けている。しかもそれは、学術的な研究や文化的愛玩の対象としてではなく、極めてアクチュアルな問題性を孕んだものとして、我々の前に現前している。



一例を挙げよう。経済の低迷から脱することのできない日本にとって、数少ない活路と目されている「規制緩和」に関連してである。実行した場合の大きな社会的影響のゆえに政治問題化することもあり、その是非を巡っては往々にして激論が闘わされる。



その場合、一般には規制緩和を推進するのが右派、批判するのが左派という構図が信じられているが、実際に朝日新聞や毎日新聞といった左派メディアの紙面をよく読むならば、これが一面的な理解に過ぎないことがわかる。



すなわち朝日も毎日も規制緩和そのものには反対ではなく、急激かつ過度な緩和に反対しているだけなのである。しかも両紙の論調には温度差があり、近年の毎日などにはむしろ規制の自由化に積極的な主張が目立つように思う。



格差の縮小や生活の安全のために政府の積極的な介入を唱えるはずの左派が、なぜ規制緩和を主張するのか。それは彼らが日本社会には依然として前近代的な要素、つまりは談合や官僚統制といった封建遺制が残存しており、規制緩和を梃子とした社会の市場経済化によってかかる遺制を除去すべきだと考えているためだ。要するに彼らは、講座派マルクス主義者の遠い末裔なのである。



その場合、清算すべき遺制を生み出した元凶として頻繁に槍玉に挙がるのが徳川幕藩体制、すなわち江戸時代である。左右を問わず経済的自由主義者の口からよく「江戸時代」「お上」「ムラ社会」といった言葉が出るが、これらは当然悪口であって、江戸時代は個人を束縛するこうした桎梏の淵源、日本人が振り捨てるべき過去として扱われているのである。



だからこそ渡辺京二が本書『逝きし世の面影』を上梓し、時とともにその声価が高まるにつれ、現代の講座派たる左翼リベラルや経済的自由主義者の一部からは、封建時代を美化するものとして非難の声が上がった。



だが渡辺の意図は江戸文明や日本文化の優越性の喧伝などにはなく、そもそも本書の記述にはかかる誤解を回避せんとする周到な配慮が施されていた。一連の非難はそうした著者の意図を故意に無視したとしか思えない悪意に満ちたもので、その誤謬は三浦小太郎の画期的な評伝『渡辺京二』や渡辺自身の初期の評論「歴史主義の擁護」を一読すれば明瞭であるため、ここでは詳論しない。


ここで私が書いておきたいのは、本書は読者を魅了すると同時に、そうした批判を惹起せずにおかない「魔力」を秘めているということだ。誤解を恐れずに言えば、渡辺を封建制度の弁護人と決めつける非難に根拠がないのは明白としても、私は本書を批判したくなる人々の心理が全く理解できないわけではないのである。



というのは、渡辺が幕末の来日外国人の眼を通して描き出す江戸文明の実相が、著者の意図を大きく裏切ってしまうほどに魅力的だからだ。異邦人たちが見聞した、われわれ現代人の意表に出る数々の事実の興味深さはむろんのことだが、渡辺の緊張感に満ちた見事な文体が、それらの事実に一層の光彩を添えている。



しかもその魅力は――実に逆説的だが――上に述べたような、読者に江戸期日本をユートピアと錯視させまいとする渡辺の周到な弁証によって却って強力に担保されているのだ。仮に本書の内容が江戸文明の美点を手放しに礼賛するものだったなら、盲目的な国粋主義者は知らず、まともな知性の持ち主なら即座に眉に唾をつけるに違いない。



だが本書を一貫する抑制的で慎ましやかでさえある記述と、サイードのオリエンタリズム論批判にまで及ぶ精緻な論述は、江戸文明の美を遺憾なく描破する著者の言葉にきわめて高い客観性と強い説得力とを与え、読者の心裡にあった当初の警戒心を解除させてしまう。



このため皮肉なことに本書を読む者は、一方で渡辺の懇篤な警告に耳を傾けながらも、そうした著者の真摯な姿勢への信頼ゆえに、却って江戸を理想郷視する欲求に安心して身を委ねてしまえるのだ。ネット書店のレビューなどを概観すると、そうした「誤読」の少なくないであろうことを感じる。



すなわち本書が放つ「魔力」の淵源とは、読者に肯定と否定を往還させつつ滅び去った文明の美へと誘う水際立った弁証と、その弁証が放つ逆説的な吸引力にこそあるといえる。そして言うまでもなくその吸引力は、日本人が持つ江戸文明への屈折した愛着に対応しているのであり、それが渡辺の思想的反対者たちの反発を誘い出さずにいないのである。



ゆえに、葦書房からの初版刊行以来二十年を閲しようとする本書は、すでに声価定まったロングセラーなどではなく、逆説に満ちた「問題の書」でありつづけている。本書の主題たる江戸文明と同様、深く魅了されるものと強い反感を抱く者とを生み、歴史と文明をめぐる白熱した論争の焦点となりうるアクチュアルな一冊として、今もわれわれの前に置かれているのである。

ニックネーム: 3ki 投稿日:2013/01/04

幻影の楽園

インドネシアは多く、イスラム教徒のいる国だという。
昨年の暮れ、ジャワ島のボロブドゥール遺跡を訪ねたわたしは、上部のストゥーパの傍で当地の髪を被った制服の女生徒に写真を請われた。「一緒に写ってくれ」というのである。
すわ、わたしはインドネシア美人の基準に該当するのかと色めき立ったが何のことはない、インドネシアの人はたいそうな日本人びいき、撮った写真を友だちに見せ「日本人と写真を撮ったんだよ」と自慢し合うのだそうである。
浮ついたバカンス風の出で立ちのためか、黒髪、切れ長の目、黄色がかった白い肌が日本人と知らせたのか、確かにわたしは異邦人である、と、納得したものである。

今の日本人に、外国人と写真を撮ったからといって自慢し合うようなものはいないだろうが、かつて、日本人は、国を訪れた外国人を無邪気に取り囲み好奇の目を向けた。
しかしそれもお互い様、幕末・明治期に日本を訪れた外国人たちもまた日本に好奇の目を向け、時には偏見も交えながら、驚きをもってそれを活写している。そこに描き出されているのは、幻影の楽園のようでもある。

自分の怠惰を告白することになるが、実を言うと本書を読もうと購入したのは一年半も前のことである。その厚みと濃厚さに、何度も読みかけてはやめたのでこの時期となってしまったが、読み始めればかかり切りに読み進めることとなった。
元は、震災時に遡る。自分の住まいは無事だったとはいえ、余震が続き、計画停電の実施と、日本中が薄墨を垂らしたような思いを纏いながら生活をしていたように思う。そうしたとき、海外からの支援の言葉と共に、日本人への賞賛が多く寄せられていた。
何でもよいから明るさの元になるものをと、日本礼賛の本をいくつか読んだ。要は自信を取り戻したかったのである。そうしたとき、いくつかの本の参考文献として上げられていた本書に興味を持った。
誤解の無いようにしたいが、決して本書の言わんとすることは、古き日本を「楽園」と祭り上げることにはない。真の楽園など地上には存在しない、というのは当然のことで、著者のその筆は、徳川期において花開いた文明の両面を、当時日本を訪れた外国人の記録や当時に生きた日本人の記録から引いて、公平に描き出している。

文明と文化の違いもはっきりと言い表せない(辞書で確かめても、著者の言う文明の定義とはやや違っているようである)自分には、やや荷が勝ちすぎるものではあるが、文明とはなんであろうか、楽園とはなんであろうか、などと考えさせられる。
確かにこの著作の中で表された文明は、滅びたようである。そう思えるのは、自分が訪れた外国に向けるのと同様の目で、この中に現れる日本を見つめる目を自覚するからである。
自らの持つ視線、これはいったいどんな文明に由来するものであろうか。
以前の文明を埋葬した上でそれを見送る文明なのか、それとも西洋からの押し寄せる波に同化した文明なのだろうか。

自分に答えの出せようもない難しいことはともかく、考えたことを書き付けておきたい質なのでいくつか。
思わず笑いを誘われるのは「第九章 女の位相」。まあ、なんと男たちは女を特別なものと思いすぎているものか、と、呆れもしてしまう。男と比べて特別優美な日本の女を礼賛してはいるけれど、別段女は男を何か特別視したりはしないように思う。このような喜ばれ方をしていたものかとほほえましい。

また、「第十一章 風景とコスモス」とそれに続く「第十二章 生類とコスモス」あるいは全体にある日本人の生命観。
人は何ら特別なものではなく、動物とも現代に比べ遙かに同列な生命である。ということは、神々もまた、我々に近しいのだろう。
それを見る外国人たちの中にはヒューマニズムに裏打ちされた個という、自分を他と区別し、かけがえなくするものがある。それは同時に高みへと自らを押し上げ、ある種の傲慢にも思える。それはもちろん自分の中にもあきらかにある。その善し悪しを論じようと思わないが、それに触れたとき、恥じるような思いもまた生まれた。
しかし、かつての日本人は、物事をあるがままに受け入れ、笑い飛ばし、水に流し、おもしろがり、楽しめるような人々でもあった。
「ははははは」という笑いに、どれだけの力がこもっていたのだろう。
それで、わたしもまた同様に、「はははははは」と笑ってみることによって、幻影の楽園に一時、足を踏み入れてみたく思うのである。
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