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本 ポストモダン保守主義 業績がものをいう社会の陥穽

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本-ポストモダン保守主義 業績がものをいう社会の陥穽
著者: 広岡守穂 (著)
定価 ¥2,160(税込)
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商品情報

出版社名
有信堂高文社
発行年月
1988年 01月
ISBNコード
9784842050089
版型
--
ページ数
215P
平均評価
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ブクレポ
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広岡守穂 OFF

ブクレポ  ( ブクレポについて

ニックネーム: ランピアン 投稿日:2012/07/09

我々は如何にして心配することを止めて資本主義を愛するようになったか

かつて呉智英は、新聞の投書欄を「心のゴミ箱」と呼んだものだが、私もほとんど読むことはない。だが、時には忘れることのできない投書を目にすることもある。

かれこれ三十年の昔、球界の大スターだった桑田と清原がプロ入りした当時のこと、当時購読していた新聞に、彼らプロ野球選手の巨額の報酬を批判する投書が載った。投書の主は高齢の男性で、大要こう述べていた。マスコミが桑田や清原の巨額の契約金や年俸を快挙のごとく報じるのはとんでもない話である。彼らの報酬と一般勤労者の所得との大きな格差は社会的不平等の証左であり、我々はこの差を縮めていかねばならないのだと。

これを読んだときは正直驚いた。プロ選手の背負うリスクを考慮すれば、報酬も高くて当然であり、それを批判するのは無茶ではないか。だがこの投書は、まだ十代だった私の心に焼き付いた。こうした考え方がありうるのだと、初めて知った思いがしたのだ。

顧みれば、この投書は重要な歴史的変化を語っていると思う。それはこの三十年の間に、日本人が社会における「格差」の存在を当然のことと受け止め、殆ど気にしなくなったという事実である。いかに巨額の報酬を得ようが、それが公正な競争の結果であれば問題はない。文句があるなら勝者になれ。大半の日本人がそう考えるようになったのである。

そんなことはない、と人は言うだろうか。だが冷静に考えればわかるはずだ。今のイチローやダルビッシュが受け取っている報酬は、当時の桑田や清原など比較にならぬ高額だが、それを不公平と糾弾するあの投書の主のような人間が果たして現代にいるだろうか。たしかに彼のような考え方は八十年代でも圧倒的な少数派だったに違いない。だが当時は、まだかかる主張を公言できる雰囲気があったのである。

また、かの堀江貴文が「人の心は金で買える」と言い放ち、村上世彰が「お金儲け、悪いことですか?」と嘯いたとき、彼らを正面から批判した人間がどれほどいただろうか。仮に三十年前なら、彼らは確実に社会からの集中砲火を浴びていたはずだ。

なるほど数年前、「格差社会」という言葉が流行し、非正規雇用の問題を始めとする日本社会の不公正さが問題となりはしたが、私は一向関心を持てなかった。大半の日本人が「格差」を悪だと感じていない以上、しょせん一時のブームで終わると確信していたのである。と言うより、私は二十五年前からこうした時代が来ると思っていたのだ。先見の明があったのではない。大学時代に本書を読んでいたからである。本書は間接的にだが予言していた。近い将来、日本人のほとんどが格差を気にも留めなくなる時代がやってくると。

では、今日の日本人が社会的格差を当然視するようになった原因とは何なのか。金銭と出世欲に関するタブーをわずか数十年で急速に解体させたものとは、一体何なのだろうか。それこそが、本書が分析の対象とする「ポストモダン保守主義」なのである。

ポストモダン保守主義とは著者広岡の造語であり、伝統や慣習を重視し、革命や急速な改革に反対する伝統的保守主義とは異なる「新しい保守主義」を意味する。いわゆる新自由主義、ネオ・リベラリズムとほぼ同義と考えていい。この思想は共産主義や福祉国家を否定する点で伝統的保守主義と軌を一にするが、市場原理と経済効率を重視し、これの妨げとなる国家の規制や伝統的習俗の積極的な廃止、解体を唱える点で伝統主義=モダン保守主義とは明確に一線を画す。即ち「ポストモダン」保守主義なのだ。

現代の日本においてこの思想を代表するのは竹中平蔵、堺屋太一、八代尚宏、池田信夫、といってわかりにくければ、グロテスクな戯画としてあの堀江貴文や村上世彰を思い起こされればいい。わけてもこの思潮を端的に体現しているのは、大阪市長橋下徹とそのブレーンたちであろう。

だが、おそらく反問があろう。ポストモダン保守主義=新自由主義の台頭はレーガン、サッチャー登場時から既に明らかであったし、そのイデオロギーに対しては左翼から多くの批判が浴びせられ、今や汗牛充棟の有様だ。どこに本書の独創があるのか、と。

視角が全く違っているのだ。従来の新自由主義批判は、主にその「小さな政府」論を「弱肉強食」「弱者切捨て」と非難するものだが、従来のこうした批判では、なぜ新自由主義がこれほどの勢力を誇るまでになったのかが説明できないのである。元来弱肉強食の掟を是としない日本社会にさえ、このイデオロギーが強力に浸透したのはなぜなのか。単なる「弱者切捨て」論が、はたしてこれほどの支持を得るものだろうか。

しかるに本書は、新自由主義が社会ダーウィニズムなどではなく、現代人を魅了するある特長を備えた思想であることを的確に指摘している。その特長、それは今や現代人の生にとって自明の前提となった「自己実現」である。即ち、新自由主義とは自己実現、自己啓発を宗とするイデオロギーであり、この特長ゆえに、日本社会にわずかに残されていた反資本主義的な伝統的心性をほぼ根こそぎ解体することに成功したのである。

人々が皆何らかの社会的職業に就き、厳しい競争を伴う日々の労働に精励する。そこで優れた業績を挙げることで人間として成長し、社会にも貢献する。これこそがポストモダン保守主義の要諦であり、今やほぼすべての現代人が内面化している倫理である。このイデオロギーに従えば、出世とそれに伴う高報酬は当人の利己心と貪欲の表れではなく、人間的成長と社会的貢献の証なのであり、格差なるものは個人の才能と努力の差の結果として、何ら顧慮すべきものでなくなるのである。

さらに、自己実現はフェアな競争を前提とし、出身階層や性別による差別を撤廃しようとする方向性を持つため、現代の今一つの公許イデオロギーたる民主主義と強い親和性を持つ。日本社会における近年の女性の社会進出の著しい進展などは、この二つのイデオロギーの共同作業といえるだろう。かくして我々は、より「人間的」になった資本主義を、心おきなく愛することができるようになったのである。

だが、今や現代における主流のイデオロギーとなったこの思想に、果たして死角はないのか。広岡は、現代における生産活動が企業という集団を単位として行われ、各人の行動は集団の意思に制約される以上、個人の自己実現は必然的に挫折する運命にあると述べている。的確な指摘だが、私にはより重大な問題が存在するように思える。

それは自己実現が競争を伴う以上、万人がそれを達成するのは不可能であり、しかも公正な競争のための社会の市場化・流動化の実現により、失敗者にはプライドの逃げ場が全く存在しなくなるという点だ。就職できないのは努力の不足、割に合わぬ職業に従事するほかないのも己の不徳。それに耐えうるほど人間は強いものだろうか。本書はそうした問題までも見はるかせてくれた、知られざる名著である。
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