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本 本の虫ではないのだけれど

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本-本の虫ではないのだけれど
著者: 清水眞砂子 (著)
定価 ¥2,052(税込)
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商品情報

出版社名
かもがわ出版
シリーズ名
日常を散策する 1
発行年月
2010年 05月
ISBNコード
9784780303421
版型
--
ページ数
251P
平均評価
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ブクレポ
1件

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清水眞砂子 OFF

内容紹介

「ゲド戦記」の翻訳者。
児童文学にしなやかなまなざしを向け、日常の不思議におどろき、善き人たちとの邂逅をつづる著者のエッセイを、はじめて集成する。
三十余年にわたり若い人たちに語り続けた大学での、「最後の授業」も収録。

※本データはこの商品が発売された時点の情報です。

目次

世界の不思議にふれた日々/最後の授業「なぜ本を手ばなせなかったか」/人生って…/凡庸に着地すること/子どものときに…/世界との幸福な出会い/自由になりたかった/教室はわからなくてはいけないところ?/青年という季節・現代青年の生き方/追慕三景〔ほか〕

ブクレポ  ( ブクレポについて

ニックネーム: ムーミン2号 投稿日:2016/10/23

十分、“本の虫”です

どの程度、なら「本の虫」と名乗れるのだろうか?


『ゲド戦記』(ル=グウィン)の翻訳で知られる清水眞砂子さんの「日常を散歩する」シリーズ第1巻、『本の虫ではないのだけれど』という、本に関わるようなエッセイ、大学の最終講義、論考を収めたものだ。


最初に青山学院女子短期大学での最終講義「なぜ本を手ばなせなかったか」(2010.1.14)があり、その後、青山学院女子短期大学宗教活動委員会や岩波の雑誌「図書」「ヘルメス」などに掲載された長短さまざまな文章、そして「考える人」や「文學界」に掲載されたもの、『岩波講座文学6 虚構の愉しみ』に収録された「虚構の楽しみ - モモとゲド -」などが最後に収められている。
最終講義と最後の4つの文章が比較的長いが、他は1000字に満たないものも含め1-2ページのものから、数回の連載物は10数ページまでと短い文章が続く。


まずは、ご自身では「本の虫ではないけれど」と断っておられるが、なんのなんの、小さい頃から生活の傍らには必ず本があるし、大学進学後の読書たるや恐れ入るくらいの量なのだけど、そんなにあれを読んだ、これも読んだ、とは書かれていない。
けど、ワタシなんぞ足許にも及ばないのはほんのちょっとの文章からも実感されるもので、ワタシもこのくらい読んでいれば、もうちっとはましなレポが書けるかもしれない、などと過ぎたことを悔やんでみたりする。
今は出張の他は毎日疲れて読書時間も十分にとれないのだけど、そうはいってもただただ量をこなせばいいのでもないようだし…。


長い文章(講義)にはさまれた、比較的短い文章の中では、「夫」「つれあい」というワードが再々出てくる。旦那さんは科学技術ジャーナリストの菅沼純一さんで、30代後半に結婚されて、世界各地も一緒にまわり、各地で素敵なご夫婦と巡り合っている。
お二人の考え方、感じ方がたぶん、ほぼピタリと一致しているのもよく伝わってくる。
そういう夫婦になりたいものだ。


本文の中には共感できるものがいっぱいあった。それを拾うようにここに提示はしないけども、「本を読む」とはどういうことなのだろうか? なんて根本的なことを今さらながらに考え始めていたこともあって、啓示に満ちた内容だったのがワタシには良かった。
一方、もう10年以上になるだろうか、職場も社会も、この本の中の表現を借りるなら「酸素が足りない」(p.195)と感じていたことが、文章でしっかり綴られていて、これまた共感を覚えたものだ。
曰く「一年間の研究休暇をおえて職場に戻ったら(略)個人として生きられる空間がおそろしく狭まっていた。個人より組織、市民意思より国家意思を優先すべきだという空気がいっそう強まり(略)。何年か前までは誰もが表にするのを憚った敵意や本音を、今人々はむきだしにして、他者を攻撃する。弱い者いじめが恥ずかしいと思う感覚を私たちは急速に失いつつある。」 これが「婦人之友」に載ったのが2004年のことだ。


最後の「虚構の楽しみ - モモとゲド -」は、「ゲド戦記」翻訳者ならではのことがあるにしても、両者の違いをこれほどクッキリと示しているものは今までお目にかかってはいない。
『モモ』にはエンデが伝えたい観念があり、それが優先してしまったために物語がエンデの所有し、支配する世界となっていったのに対し、「ゲド」ではル=グウィンがアースシーの世界の「ひとつひとつに丹念に名づけをすることで、その世界が自立し、自らの姿を明確にしだすことをうながし、自分の支配から解放した」というのだ。
同じファンタジーでも両者は対極的。「物語を書くことは宝さがし、と言い、それはプランの実行ではなく、発見にいたる道だった」と語るル=グウィンとちがい、エンデにとっては「プランの実行こそが優先されるべきものであり、物語がそのプランを裏切って動き出すことはありえないことだった。」
これだけでは何のことやら不明かもしれないが、十分には説明できないので、詳しくは本書にあたって…。
まぁ、ちょっとしたショックだったのは、『モモ』のでき方がそう(=プランの実行)であり、初めから答えが用意されている物語であったということなのだが、「日々のくらしの無駄やあいまいさを排し、迷いもためらいもなく黒白をつけながら、まっしぐらに答えへと向かう」時間泥棒の灰色の男たちに、ワタシもならんとしていた、というのは人生を振り返れば痛感されることである。いや、今もそういう立ち位置をとってはいないか?
ただ、「よりいっそう作者の支配が露骨になっている」(p.236)とされる『はてしない物語』を読んだ時、『モモ』ほどの感動と共感が得られなかったのも今になってやっと理由がわかったのは収穫だろう。『魔法のカクテル』もそうかもしれない。


本を読む、ということは、よく言われるように多くの人生を経験し、たくさんの考え方を知り、共感や反発の中で自身を豊かにしていくことなのだとアタマではわかっていたつもりだったけど、ああ、本当にそうなのだなぁ、としみじみ実感できる、特に最初におかれた著者の最終講義は、また繰り返して読みたいものだ。
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