ニックネーム:
あきらパパ
投稿日:2017/09/03
ほかに望むものなど何もない。これが私の人生だ。
のっけから私事で恐縮だが、私・あきらパパは、2016年4月から翌年3月までの一年間、福島で暮らしていた。東日本大震災とこれに伴う原発事故からの復興を支援するためである。
わずか一年間であったが、多くの方と知り合うことができた。果樹栽培などをされる農家の方と知り合えたことは、新鮮な出会いであり、自分自身の大きな財産となっている。特に、UターンやIターンなどで就農した若い農家の方々と知り合えたことは、自分の人生に“農業”という選択肢は全くなかっただけに、「これからは農業で生きる」と決めた彼らの決意に驚きとともに一種の憧憬・羨ましさの念を禁じえなかった。
この4月に東京に戻ったが、任務を果たしたという達成感よりも、福島での生活が終わってしまったことへの喪失感のほうが大きい。それは福島を離れ5ヵ月経った今も変わっていない。むしろ喪失感に増して、虚無感が募っている。わずか1年間であったが、福島での生活は、それほどに自分の中に“何か”を残すものであった。
津波で基礎しか残っていない建物跡や避難指示で人がいなくなった町。至る所に見られる除染廃棄物を入れた黒いフレコンバックの山。雑草が生い茂り低木までもが生えてしまっている田んぼ。何度となく見てきたこうした姿が、その“何か”かと言えば、そうではない。確かに、今でも脳裏に浮かぶそれらの姿は衝撃的であり、憤りとやるせなさを感じる。だが、自分の中に虚無感を抱かせる“何か”ではない。
では、それほどまでに自分の中にぽっかり空いてしまった“何か”とは…
『羊飼いの暮らし』という本書の題名もさることながら、緑の山すそに放牧されてる羊たちの姿写真の表紙に魅せられ手に取った。
本書は、イギリスの湖水地方で600年以上にわたって牧畜に携わってきた歴史のある一家の長男として生まれたジェイムズ・リーバンクスの個人的なメモワールと家族史でありながら、そこで生きる羊飼いの生き方や夏に始まり春―草木が芽吹き新たな命が生まれる大切な季節―に終わる働き方を描いたエッセイだ。
「イギリスのこの地域には、フェル(山)に羊をヘフト(定住)させるなどといった世界でも珍しい古典的な牧畜方式が今でも残っている。湖水地方の農場に生まれた息子は誰しもそうであるように、祖父と父親の背中を追って幼いころから農場で働き、一人前の羊飼いになることだけを目指して成長する。彼らが暮らす共同体は、読書や勉強は恥ずべき行為であり、男子が学校で勉強に励むことなど無意味だとされる場所だった。著者(1974年生まれ)は10代半ばで学校を中退し、実家の農場でフルタイムで働くようになるものの、父親との関係に亀裂が生じてしまう。家の中に居場所を失った彼が救いを求めたのは、それまでご法度とされていた本―母親は読書家だった―の世界だった。そして彼は、町で知り合った将来の妻となる女性に後押しされ、自分の可能性を試すために、オックスフォード大学への進学を目指すことに……」(本書382頁)
本書の魅力は、羊飼いの生活を通して描く湖水地方の四季の風景を、詩的に情感たっぷりに描いていることだ。特に、羊たちの愛くるしく、凛とし、健気な姿を読む度に、羊飼いとしての愛情を、優しさを強く感じる。
以前、畜産は男だけでなく女の関りが重要だ、という話を聞いたことがある。男が育てると荒々しいものとなり、肉用であれば硬い肉になってしまう、とのことだ。畜産には、“かーちゃんの「愛情」”が不可欠なのだ、と。
何世代にもわたって繰り返してきた日々と家族の歴史を描きながら、土地に根差して生きることの意味や喜び、周囲のファーマーたちの息遣いまでもが情景豊かに描かれている。
もう一つの魅力が―これがイギリスやアメリカにおいて本書が高く評価されている理由なのだろうが―都市生活者にとって「価値観」を改めて考えさせられるものだからだ、と思う。
変化や進歩こそを「正しさ」とする価値観にどっぷりと浸かっている私・あきらパパにとって、長い歳月をかけ受け継がれてきた手法を大切にし羊を育てる羊飼いたちの情熱とプライドをひしひしと感じた。また、私・あきらパパよりも年若く、勉学など無意味とされた中にあってオックスフォード大学へ進学した著者が、地域社会のモラルと閉塞感すら感じかねない緊密な共同体の中での伝統的な生活に価値を見出していることにも驚かされた。
「湖水地方のような厳しい環境のなかで、どう農場を営みながらせいかつするか―その答えを導き出すため、多くの伝統的な共同体で数千年ものあいだ試行錯誤が繰り返されてきた。その教訓を忘れ、知識が失われていくのを見過ごすのはあまりに愚かなことだと思う。」(本書300頁)
「いまでは多くの若者たちが湖水地方に移り住み、牧畜を中心とした生活を始めている。この生き方がいまも続くのは、人々がそれを望むからにほかならない。もちろん、これまでと同じように、より現代的な生活に合わせちょっとした変化と順応が必要にはなるだろう。けれど、核となるものはずっと変わらない。私たちファーマーはこれからもきっと、現在の生活を続けながら生きていける。」(本書301頁)
そして、最後の一文は、なんと誇らしいことか!
「ほかに望むものなど何もない。これが私の人生だ。」(本書374頁)