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本 塩野七生ルネサンス著作集 7

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本-塩野七生ルネサンス著作集 7
著者: 塩野七生 (著)
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商品情報

出版社名
新潮社
シリーズ名
塩野七生ルネサンス著作集 7
発行年月
2001年 10月
ISBNコード
9784106465079
版型
--
ページ数
499,2P
平均評価
(5)
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ブクレポ
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塩野七生 OFF

内容紹介

権謀術数の代名詞とされる男、マキアヴェッリ。
しかし彼は、それほど単純な言葉でくくられる人物ではなかった。
―フィレンツェ共和国の外交書記官として当時の権力者たちと渡り合い、権力の本質とは何かを体得し、近代政治学の先駆とされる『君主論』を著す。
その冷酷無比なるイメージとはかけ離れた、イタリア・ルネサンスの終焉を真摯に見つめ続けた人間味溢るる実像を、愛情をもって克明に描き出した、塩野ルネサンス文学の集大成ともいえる大作。

※本データはこの商品が発売された時点の情報です。

目次

サンタンドレアの山荘・五百年後/第1部 マキアヴェッリは、なにを見たか(眼をあけて生まれてきた男/メディチ家のロレンツォ/パッツィ家の陰謀/花の都フィレンツェ/修道士サヴォナローラ)/第2部 マキアヴェッリは、なにをしたか(ノンキャリア官僚初登庁の日(一四九八)/「イタリアの女傑」(一四九八‐一四九九)/西暦一五〇〇年の働きバチ(一四九九‐一五〇二)/チェザーレ・ボルジア(一五〇二‐一五〇三)/マキアヴェッリの妻(一五〇二‐一五〇三)/“わが生涯の最良の日”(一五〇三‐一五〇六)/“補佐官”マキアヴェッリ(一五〇七‐一五一二)/一五一二年・夏)/第3部 マキアヴェッリは、なにを考えたか(『君主論』誕生(一五一三‐一五一五)/若き弟子たち(一五一六‐一五二二)/「歴史家、喜劇作家、悲劇作家」(一五一八‐一五二五)/「わが友」グイッチャルディーニ(一五二一‐一五二五)/「わが魂よりも、わが祖国を愛す」(一五二五‐一五二六)/ルネサンスの終焉(一五二七))/メイキング『わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡』

ブクレポ  ( ブクレポについて

ニックネーム: あきらパパ 投稿日:2015/12/29

わが魂よりも、わが祖国を愛す

本書は、1987年に中央公論社から発行された『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』を収録したものである。
『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』は、イタリア・ルネサンス期に隆盛極めたフィレンツェ共和国の外交書記官ニコロ・マキアヴェッリを主人公に据えて、彼の生涯と重なり合うフィレンツェ共和国の衰退期を描いた歴史文学の大作だ。


著者にとって、『海の都の物語』でルネサンスの都市国家の一方の雄であったヴェネツィア共和国を取り上げた以上、もう一方の雄であったフィレンツェ共和国を描き出すことは、ある意味必然。そして、共同体意識の強かったヴェネツィア共和国と違って、フィレンツェ共和国は個人主義のるつぼのようであったので、フィレンツェの通史を書くならば、その時代を映す個人の生涯を描いていけば出来上がるとのこと。興隆期はダンテを、安定期はメディチ家のコシモとロレンツォのふたりを、衰退期はニコロ・マキアヴェッリを。だが、衰退期を描くにしても、なぜそれが衰退期なのかを説明する必要がある。となれば当然ながら、安定期にも筆がおよび、興隆期にも少しは触れないでは済まなくなる。つまり、マキアヴェッリの生涯を描くことは、フィレンツェ共和国がなぜ衰退に至ったのかを描くことになり、ひいてはフィレンツェ共和国の通史を描くことになるのだ。
その意味で本書は、マキアヴェッリの評伝というよりは、副題の「フィレンツェ存亡」とあるとおり、都市国家フィレンツェの物語なのである。


本書は三部構成となっている。
「マキアヴェッリはなにを見たか」――1469年5月3日から1498年5月23日まで。マキアヴェッリがフィレンツェの街中で中流階級の子として生まれて後、時の支配者ロレンツォ・デ・メディチが亡くなりメディチ家が追放され、サヴォナローラの4年間の神権政治が終るまで。
「マキアヴェッリはなにをしたか」――1498年5月28日から1513年3月13日まで。マキャベリが、フランス王の顔色を窺い、自国の防衛は金で傭兵に任せ、チェーザレ・ボルジアの動きをのらりくらりとかわしているフィレンツェ共和国の第二書記局書記官に選出され、共和国大統領ピエロ・ソデリーニの腹心としてあちこちに派遣され、その椅子は暖まる暇もなく活躍した14年間とその後の逮捕・釈放まで。
「マキアヴェッリはなにを考えたか」――1513年3月13日から1527年6月22日まで。マキアヴェリが失職してからローマ掠奪・メディチ家の再追放を経た後、彼がフィレンツェの自宅で亡くなるまで。

その3年後の1530年、メディチ家復帰を拒否したフィレンツェは、スペイン王にして神聖ローマ帝国皇帝であるカルロス1世/カール5世が送り込んだ軍勢との10ヵ月に及ぶ攻防の後、滅亡する。これとともにルネサンスも終焉するのであった。




「目的のためには手段を選ばない」と説くマキアヴェッリについては狡猾なイメージこそ持てど、人間味溢れる実像は湧いてこないのが多くの人が持つ彼の印象であろう。
だが、以前に読んだ『マキァヴェッリの生涯 その微笑みの謎』でも描かれていたが、マキアヴェッリほど浅薄な倫理や道徳を排し、ひたすら現実の社会のみを直視してきたルネサンス期にふさわしい人間味ある政治思想家はいなかったのではないだろうか。それゆえに500年を経た今でも彼の思想―『君主論』、『戦略論』、『政略論』は、あらゆるリーダー、社会生活の営みに良かれ悪かれ生かされているのだと思う。
そこには、彼が上流とも下流とも関係を持つ中流階級出身だということも影響しているのかもしれない。
マキアヴェッリは、今でいえば高卒のノンキャリ官僚である。時間ギリギリに出勤し、お金に困り借金し、勤務を退ければ友人と居酒屋に繰り出す、ただの市井の人だ。浮気すらしている。出張であちこち行かされるマキアヴェッリは、本国政府に報告書を送る度に旅費の不足を嘆き、早く送金してほしいと催促している。彼が後に書く『君主論』の一節はこの経験から得た彼のアイロニーなのかもしてない。「君主たる者、ケチだという評判を怖れてはならない。」と。


そんなマキアヴェッリが後世にも残る箴言を遺しえたのは、ひとえに彼が「わが魂よりも、わが祖国フィレンツェを愛していた」からにほかならないであろう。
驚くことに、マキアヴェッリは、死の約10日前に行われた、フィレンツェ共和国の第二書記局書記官ポスト(マキアヴェッリが以前務めていたポスト!)に自ら立候補しているのだ!(結果は、12対555という圧倒的多数で落選であったが。)
マキアヴェッリの死は、彼の四男のピエロ・マキアヴェッリが親族に宛てた手紙によれば、死の2日前に飲んだ丸薬がもとでの腹痛のためとのこと。落選のショックからではないということが、せめてもの慰めである。




この時代のイタリアは実に面白い。
パッツィ家の陰謀、カテリーナ・スフォルツァの逸話、チューザレ・ボルジアの蛮行と彼との丁々発止のやり取り、カルピという村でのフランチェスコ・グイッチャルディーニとの悪戯などなど。
本書にはお金の話も多く書かれており、当時の金銭水準を知る上でも有益である。


マキアヴェッリが『君主論』を執筆した山荘と附属した葡萄農園は今もあり、彼の子孫がマキアヴェッリの横顔を商標にしたワインを売っているとのこと。もし、日本にも輸入されているのであれば、是非味わってみたい。これを飲みながら『君主論』を読むのは、マキアヴェッリが『君主論』を執筆した時のように、さぞ格別な時間となるのではないだろうか。
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